polaris

君の居場所

夢のあとで

 

ちょっとだけ夢の話。

居場所を作りたいと思って、2年くらいになるのかなあ。
今年はコロナがあって、自分がやりたいと思っていたことがいくつか潰れました。
ほんとうは春に、居場所屋さんの小さいバーションを、数日間限定でやってみようと思っていたし、知り合いのみんなで集まってマルシェのようなものを開きたいとも考えていました。
でも3月頃から雲行きが怪しくなって、しっかり話をする前にもう、その話は消えちゃった。

悔しいとか悲しいとか、そういうのじゃなくて、仕方ないよなーくらいの気持ちだったけど、今考えたら寂しいなとだけ思いました。

そして、居場所を作るという夢について、もう一度考え直さなきゃいけないのかな、とも思っています。

やる、やらない、は別として、どんなふうにするのか。
誰に必要とされて、誰のためになるのか。
コロナが流行って、いろんなお店が休業して、密は駄目ですと言われて、それを自分がやりたいと思っている居場所に当てはめてみた時、まあ普段来る人はちらほらなのかなーと思っても、数人集まってお話会みたいなのは難しいのだろうと思ったし、ワークショップのようなものも、かなり注意を払って開催したり、できることも限られてくるのだろうと。

それが嫌だとかではないのだけど、やっぱり可能性は狭まるなと思う。
そして、それを仕事として生きていくということは、稼ぎが必要になってくるわけで、そこがどうしても見込めないのです。
前からそこでずっと躓いているのだけど、さらに大きな高い壁になってしまいました。

わたしの中にいろんな条件があって、譲れない気持ちもあります。
どこか妥協しないと進まないとわかっている自分と、でもなんとかならないのかなって思う自分がいて、何も進まない。
今のこの世の中の状況が少し明るくならないと、自分もうまく進めないというと、言い訳っぽくなってしまうけど、でも不安が拭えない限り、「やる」とは言い切れないのかもしれないです。


今はこういうことを考えています。
あとちょっと、ほんとうにショックな事があって(メンタルはそこまで凹んでいないから、考えられることなんだけど)、正直、今のやりたいことは来世の自分に託そうかなーと夢をみたくなるくらいだったりします。

こんなこと話すとあまり良くないかもしれないけど、信じられるのはやっぱり自分自身。
自分の考えと、行動と、言葉。
人を信じないというわけではないけれど、身近な人でもすべて信じていたらいけないのかな?という経験をしました。
信じたいけど、すこしは疑うべきなのだろうか……。
自分なりにかなり石橋を叩いていたつもりなんですけどね。

ぜんぶコロナのせいにしてしまいたい気持ちです。
今日で8月も終わり。
何かをやったという実感もなくて、虚しさだけがあるなあ。

2020.8.31